バウムクーヘンの量子力学的味わい

 



 こないだラジオを聴いていたらびっくりした。バウムクーヘンの真ん中の穴には幸せが在るんだと。

 曰く、「バウムクーヘンは真ん中に幸せがあって、その周りをぐるぐるぐるぐるまわって素敵な家庭をつくりましょう。ということを云わんとして結婚披露宴の引き出物なんかに人気があった」んだと。
  ええー、そんなとってつけたようなこじつけたようなきれいごとのようなこと云ってもいいんかい?
と、思いましたね。
 いやたしかに、バウムクーヘンの作り方については前にもここで書きましたが、棒の周囲にケーキの生地を薄く垂らしては焼き、垂らしては焼き、それを棒を回し乍らジワジワとおこなっていってあのような渦巻き年輪模様に仕上げたところで心棒を抜く。すると筒状の、大きなチクワのようなものが出来上がり、それを輪切りにしてさぁバウムクーヘンの完成! と、なるのはわかっている。
 それはわかっているが、芯のない、空洞をそのままにしておきたくないという気持ちはわかるが、いきなりその部分に幸せを代入してしまうのはどうだろうか。そんなことで幸せの方程式は解けるのか? お菓子の中心にある空白を放っておくと、前々回のように「バウムクーヘンの空洞は家庭に於いて永遠に埋まることのない夫婦それぞれの逃げ場。とりわけ夫のシェルターなりよ」なんて云い出すひと(僕のことね)も現れたりしてしまって社会の健全な活動がさまたげられ、自民党の独裁基盤にもヒビが入る。という懸念は理解できますがね。
 まぁそんなかんじでバウムクーヘンの穴についてのいきなりの強引な説明に、僕としては瞬間的に「ケッ!」と、云ってしまいましたね。
 大体空白っていうのはそこになんにもないから空白なんだよ? いわば真空みたいなもんだよ。それをねぇ、そういういう洗脳じみた教育はよしてほしいねケッ! と、思ったところでガン!!っと来ました。
 真空という言葉に引っかかってしまいました。
 真空っていうのは、たしかになんにもない、空気もない、宇宙空間みたいなもので、無色透明、音も伝わりません。いやしかし、そこには実はなにかがあるんじゃなかったっけ、量子力学では? 

 量子力学。この世界をかたち作る根本原理というか物理法則で、あらゆる基本面応用面に於いて正しいと証明されている。そのなかにたしか「ディラックの海」という存在があった。
 ポール・ディラックという物理学者が存在を予言、というか提唱してその後その存在が確かめられたもの。「真空は何もないようでいて実はプラスの電荷をもった電子(陽電子)で満たされている」
 物質を構成する原子は、プラスの電荷をもった陽子とプラスマイナスゼロの中性子で作る原子核の周りに、マイナスの電荷をもった電子があって形づくられている。とゆうのはみなさん知っている。陽電子というのはこのふつうの電子とは反対にプラスの電荷をもっているふつうじゃない物質。いわゆる「反物質」。反物質なんてそんなこの世のものっぽくない名前のものを、ってかんじだけど、反物質は実際に大量にあるとゆう。そもそもこの宇宙がその開びゃく時において、物質が反物質よりもほんのわずか、たしか1パーセントだったかそこら多かったので、今のようなこういう宇宙が出来たのだそうだ。
 物質でできた宇宙にいるわれわれの身体はもちろん物質なので、反物質の存在は感知できない。となりにあってもさわれない。反物質で出来た人間が狭い道をこっちへやってきて、すれ違いざまぶつかったとしても、うちら物質人間はその身体を通り抜けてしまう。
 しかし大体、そんな幽霊のような反物質があるなんてことがどうしてわかるのか? 
 それはまあ、いろいろと実験をしていく中で、なにもないとされる真空中における「電子と陽電子の対生成(エネルギー(飛んできた光・光子)が消えて、その場所に電子と陽電子のペアが生成される)とか、対消滅(その反対)」が観測されて、真空は実は陽電子がびっしりと詰まっている海であった、真空が何もないように見えるのはわれわれの身体が物質で出来ていて反物質と相互作用ができないからだ。とゆうことがわかってきたのですね。

 そこで「幸せ」ですよ。ここでバウムクーヘンの真ん中の空白イコール「幸せ」として、そこに反物質を代入してみる。ちょっと見えてこないですか? その解が。
 いやいかん、記述が教科書ですね。
 つまりは、バウムクーヘンの渦巻きケーキの部分は物質で満たされている。そして真ん中の真空は反物質で満たされている。まわりを物質で囲んだ中に、物質では埋めきれない空白が生じてしまう。そこは実際には空白なんかでなく、幸せという反物質がぎっしりと詰まっている。
 幸せはモノじゃないのだ。
 モノというのは、いわゆる物質。物質主義とか、モノがあれば幸せだろう的、金でなんでも手に入るという考えで収集の対象となるもの。しかしそうしたモノ・物質とは相互作用することのない反物質が、やっぱり幸せの本質であったのだ。
 バウムクーヘンが真ん中までギチギチに詰まった、充実した、普通のケーキのようなものであったら、その家庭はひたすら金銭的富を追い求めることに価値をおいて、心の富というものがなくなっていく。財産は豊かだが、家庭としての精神がない。逆に真ん中を囲むケーキの部分がない、空白だけのバウムクーヘンがあったらそれは、、、それはしかし存在のしようがないものですね。せめて薄くとも外界と家庭内とを隔てる物質の壁がないと。いくらモノとは関わりないとはいっても衣食住の最低限というのは足りていないと家庭の運転はツライ。
 かようにして、家庭を美しく仕上げていくための象徴として、真ん中のポッカリと空いたお菓子が必要になるわけです。
 この発見、というより事実の確認、モノと幸せの関係を定量化する説に「バウムクーヘンの方程式」という名称をつけたいですね。
 家庭生活にかぎらず、人生の意味といったものをこの方程式の解としてもとめることができると。バウムクーヘンは量子力学に基づいたお菓子であったのだ。

 

 

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