両国トマソンフィーリング

   

  

 さて、今回は路上である。トマソンだ。
 すでに知る人多しと云われるトマソンだが、知らない人多しとも云われるので説明。
 簡単に云うと街中の建物などに存在する無用の物件のこと。
 前衛芸術家で作家の赤瀬川原平さんがその概念というものを発見した。
 
たとえば、無用庇( むようびさし )。
 いや、庇というものはふつう窓や玄関などといった建物の開口部の上にあって、そこを雨露から守る役目をしている。しかし、何らかの理由によって、例えば庇の下の開口部が塞がれてしまう場合がある。想像してもらいたい。
 「北側にある窓なんていらないよ。使わない窓なんかふさいでしまえ」
 というんで板など張ってセメントで塗り込めて外壁と同じ色に塗装などして、平面化してしまう。しかし、その上には、かつてあった窓を雨から防いでいた小さな横長のひさしというものが残る。この突起物をとっぱらって完全に壁面化するというのはけっこう大変そうだ。ひさしは建物の構造と一体化しているようなもので、窓をふさぐのほど工事も簡単ではないだろう。
 というので、ひさしはそのまま残しておこう。とくに問題があるわけではないし。といった結論にいたり、建物の壁面にひさしだけがでっぱって残る。
 さて、ここで、そのひさしはなにを雨露から守っているのだろうか。
 本来の目的を失ってなおそのもの自体としては残存しているひさし。これを「無用庇」と呼ぶ。
 そしてその存在からはまるで現代芸術を観るような美しさが漂いだす。
 意図せずして、出来てしまった現代芸術もどき。それは「
超芸術」。
 
あるいは、階段を上って行った先に何もない「純粋階段」。
 かつてあった階段上の入り口がふさがれて、しかし階段は撤去するのが大変なので、とりあえずそのままにされる。

 あ、そんなような感じで、それ本来の目的を失ってなお、建造物に付随して残る物件を無用の長物。かつて巨人軍に鳴り物入りで助っ人加入して来たものの、全く活躍せずにベンチをあたため続ける存在となった現役メジャーリーガー、ゲーリー・トマソン選手にちなんで「超芸術・トマソン」と呼称する。

 さて、そういうわけで両国駅にやってきた。待ち合わせである。
 両国駅は、ホームに降りた時点で何故か、昭和三十年代を彷佛とさせる懐かしい匂いに満ちていた。駅前にいきなり広場の駐車場があったりして、なかなか地方都市然としていてびっくり。
 駅舎もどっしりとした洋館風のデザインで上野駅にも通ずるというか、戦災をくぐり抜けたという風格のようなものがある。いや、そのへんの確かなことはちょっとわたくしは調べてないんですがね。
 で、何気なく振り返ったところで写真1。

   写真1

 適度に古びた外壁に真新しいステンレスの取っ手。
 カメラはオリンパス・ペンFT。1964年製。天才技術者にしてデザイナーの米谷美久氏設計になるハーフサイズ一眼レフ。オリンパスから出たレンズ交換可能一眼レフデジカメ「E-300」が、ペンタプリズムを廃したポロミラーの光路系と、サイドスイング・ミラーという、このペンFの四十年前の設計アイディアを踏襲したという伝統の(?)名器。冬日の光がしっとりと、昭和の中頃気配を醸し出しているではないですか(……いないか)。
 まあしかし、この取っ手状のもの。これ自体はトマソンではないかもしれない。ただ、その用途が不明な物件のひとつ、ということで。だが、これは明らかかに、最近になってなんらかの使途のもとに取り付けられたものでしょうね。この窓をやぶって右側のテラス構造の部分に乗り移るときにこれにつかまって身体を支えるとか。一種の避難補助用。しかしねえ。。。
 まあ、なにせ昭和三十年代だ。わからない事もあるよね、と、納得(?)しつつ左の方に視線をずらしていったら、これがありました。写真2

   写真2

 こ、これはっっ。トマソン。無用庇。というか、その亜種で無用ファサード(と、呼んでおく)。
 写真1と同じ形の窓がここにもあったのだ。それが何らかの理由によってふさがれ、その上を装飾していたファサードのみが残った。よく見ると窓敷居も平面に削られているが跡を残している。
 アーチ型の装飾と削り込まれた窓敷居の痕跡に囲まれたこのスルッとした空白の美しさ。
 しかしこの程度の凹凸のファサードなら、窓と一緒に塗り込めてしまえると思うのだが。ここを塗った職人さんの、アーチを残すという、とくに意図のない行為がこうしてトマソンを発生させてしまったのだ。
 トマソンはその発生過程において、無意識・無意図というものが多分に関わってくるものである。
 うーむ。と、うなっていると写真3

        写真3

 ちょっと離れて鑑賞してみました。駅舎の、トマソンのまさにその前を老人の二人連れが歩き過ぎる。
 「ほらいそがないと二時十分のに乗り遅れるよ。次の電車じゃもう受付時間に間に合わないよ。まったくいつもお前は出かける支度が遅いんだから」
 と、ご夫婦でしょうか。奥さんは背中の膨らんだ感じから、和服姿。旦那さんは薄手のコートに鳥打ち帽。昭和ですねぇ。そして下町。
 人物の動きとトマソンの静止感が美しい。
 そして、さらに左の方にまたしても、、、

    写真4

 縦長の、これも大正末期から昭和初期の建物に多いタイプの窓ですね。駅舎落成の当初は右側のと同じ窓がその左側に二つ、あったのだろう。それがなんらかの理由でつぶされて、ここでもファサードと窓敷居が残されている。
 この部分の構造はちょっと複雑なかんじだ。写真3とも比較すればよくわかるが、いちばん左側のトマソンは一段下がった位置に窓があったことを示している。ちょっと中途半端な下がり方ですね。
 しかも、そのトマソン化した窓の、ほぼその位置に、いったん塞いだところを再び開けてドアが設置された。ドアの下辺が内部の床面だと思われるので、この中は階段室になっているのではないだろうか。
 しかし、建物使用に於ける変遷がしのばれる美観でわないでしょうか。

 ふりかえって両国駅。両国、というのは二つの国、即ち武蔵と下総、の二国を指していうので、この国ざかいにあるから両国。両国橋が由来ではなかったでしょうか。
 きっと往時は今以上に地域のにぎわいといったものがあったのではないでしょうか。
 そして駅です。鉄道。今では道路網にその地位をだいぶあけわたしているが、物流の拠点ですよね。そこを基点として街が、地域が発展していく。
 その駅というものにトマソンが存在するというのは、どうなのだろう。象徴ということで考えると、ある意味もはや、その街自体がトマソンと化している、ということにならないか。
 
 両国駅の、この場所に立って左を見ると、江戸東京博物館の、未来都市のような巨大な吹き抜けをあしらった、というよりわざわざ高い塀を二枚立てて、その上に六階建てくらいのビルを乗っけた。というような威容が立ちはだかっている。並んで建つこの二つの建築物の激しい対比。というのはなんなのか。

 さらに両国。東京両国といえば国技館ですよね。お相撲。たしかに、国技館もこのすぐそばにある。こちらは全国的に有名だ。実際、両国駅の、写真3でご夫婦が歩いている向こうに見えるガラス戸の中、駅舎内には相撲グッズなんかを売っとるおみやげ屋がある。
 全国各地からやってくる相撲見物の人たちが、この両国駅を降りて国技館に向かうんでしょうね。
 ぼくは特段、相撲に詳しいとかいうことはないが、かつて、まあ二十年くらい前は、力士の出身地は東北地方が圧倒的であったそうだ。やはりその頃、新幹線なんかなく、東北自動車道も全通したかどうか、という時代の東北は、かつてのイメージというか、しいたげられた中から辛抱努力してじわじわと勝ち上がっていく。というような、負の状態をパワーに変えていく日本人の力を体現していたのではないか。
 敗戦で焼土と化した国が、必死の思いで立ち上がり、崖を這いのぼり、滝つぼに落ち、また浮かび上がってファイト一発、いや、二発三発、十発百発とかさね、Rビタン-Dなんぞない時代に自分の力だけでジープを引っぱり(ジープって、ひとが引っぱって動かすもんだっけ?)、苦労をかさねて兎に角つかんだ勝利のプロジェクトX。そうした戦後日本の発展の象徴的風景が、東北出身の力士たちの後ろ姿にかさねられたような気がする。
 そして二十一世紀。国技館の土俵に日本人の横綱はいない。土俵をにぎわすモンゴルやヨーロッパの人々。
 以前、数年前に、「相撲は国技である前に、神事である」と、云った行司の人がいましたね。
 「ええっ、そんな国家神道につながりっぽいこと、この時代にNエッチケーで云ってもいいの?」と、いうような発言だったので、印象にあった。しかしいまや、外国人によって執り行われる日本の神事とはなにか。
 このへんちょっと、相撲のトマソン化、神事のトマソン化ではないだろうか。
 いや、神事というのはトマソンなのかもしれない。かつては実際に起きた神懸かり、奇跡などを宗教的に定着させたもの。儀式っては、実際にあった事をなぞる架空の行為という意味では、トマソンと云えるかもしれないですね。葬式なんかも。結婚式も
 ふたりの門出は、架空から始まる。
  

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