バウムクーヘンのブラッキーな味わい

 

 

 こないだ飯を食い乍らテレビを見とったらわが町目黒の特集とゆうのをやっておったね。
 といってもまあ民放のやる事だからタウンマップを気取ったお店紹介取材する店からもお金もらって制作費切り詰めうまくいけば黒字に持ってきますよー的まあなんとゆうかはたしてテレビジョンで作る内容だろうか? と、いったよくある内容。
 まあそんな事情はここではどーでもいいのだが、その中で何度となく出て来た言葉「隠れ家」。
 曰く、目黒には隠れ家が多いんだと。
 目黒の名所ベスト20、というかんじで、名所といっても飲み屋や食い物屋ばかりなんだが、どうも東京といっても目黒とゆう、なんというかちょっと外したイメージの場所を演出するにはこれでしょう!  っといったかんじでキーワードとなって使われておりました。「隠れ家」という言葉が。
 まあ、タダでさえ地元民には縁の薄い、ま、ほとんどかんけーないそういった系の店屋なんだけど、善悪を問わず知名度の高い人々にとってはそれなりにそういう存在のものがほしいのかも。とわ思ったりもしますがね。

 しかしながら紹介される「隠れ家バー」や「隠れ家寿司屋」なんつーのの数々は、どれもふつーの感じじゃん、てわけで。
 ま、大体がバーなんて暗いかんじが売りな訳で、昼間の明るい動物園の脇にバーがあったってそれは誰も入りたくなんないものなわけでね。ああいう店はそれなりにいわくありげに目立たず、明るい商店街に在ったとしてもせめて狭い階段を上がっていった二階とかね( ある部分で笑 )。
 といったかんじで番組自体の方向付けがかなりいーかげんなことはまあ云うまでもない。

 が。そこで思ったのは、「隠れてどーする」 と云う事がある。
 「
隠れ家」と聞くとちょっと魅力な響きがあるのは事実ですよね。なんか、小学校の頃講堂の裏に作った秘密基地みたいなかんじで。男の子はみんなそういう秘密基地を作った経験があるのじゃないだろうか。
 そういうニーズを(?)ねらってか「男の隠れ家」なんつー雑誌も確かありますね。しかしあのタイトルを見てちょっと違和感を感じてしまうのはわたくしだけだろうか。
 男が隠れてどーするっっ。っつー言葉が込み上げでくるでわないですか。男たるもの、逃げも隠れもせず、正々堂々と戦って死ねっっ。
 あ、いや、戦時中ではないので、そう云う表現もちょっととは思いますが。この、、、
 というか、隠れたいものなんでしょうか。外に出れば仕事と云うストレスの嵐。うちに入れば家庭と云うストレスの嵐。その暴風雨から身を守り、精神を安定させる事の出来るシェルターとしての隠れ家。

 この頃じゃ隠れるのもトレンドになって来たのか、何処にも出ずに、家の中にも出ずに、隠れる仕事、というのがありますよね。引きこもり。いや、仕事とは違うか。しかし、かれらにしてみてもその多くはパソコンなどで外部のそういった傾向的人々・世界とつながっている事が多いようで、むしろそう云う意味ではネットとかを通じてつながるそうした人々の方が、普通の社会人と云われる人々がつくる世間とのつながりよりも深いかも知れない。
 あながち、引きこもりイコール世の中との隔離、ではないだろう。

 心理学的に見ると、「隠れる」というか「見られたくない」という欲求は「見たい」という欲求の裏返し、らしい。とすれば、隠れたいという欲求は「隠れた場所からよそを観察したい」ということになるのではないか。
 外界との情報の流れを完全に遮断する事なく、もれてくる音沙汰にしばし心を傾け乍ら「ふふふっと笑んで書斎から出ず」。って云う気持ちはちょっとわかりますね。隠れている自分を周囲の環境との比較でより鮮やかに意識する。まぁ、外的環境がなければ内的環境(隠れる事)を作ることもないのだろうが。

 「男の隠れ家」の話にもどろう。
 「男の」と付くところはやはり、女ではない、というか、女には理解されない、というか、そういうニュアンスがありますね。ある意味やはり、そういうニーズをねらってもいるのでしょう。ウッディーな感じの内装の部屋の写真なんかが表紙で、中身はよく見た事はないが、まあ、「趣味の世界」とか想像は付く。読者登場、なんてページもあったりして、取材に対して「いやぁ、こんなものにこんなに金かけてるなんて、女房には云えませんね、ハハハハハッ」なんていうかんじでオッサンが笑ってる。いえ、あくまで想像ですがね。
 そうすると、「男の隠れ家」は、家の外の仕事の環境というよりも、配偶者を持つ男の、家の中にある家庭環境からの「隠れ家」であるかんじですかね。

 こないだバウムクーヘンの作り方を聞いてびっくりした。あれは心棒を回し乍ら、その上に生地を少しづつ垂らしては焼き、垂らしては焼き、をくり返して焼き色のついた部分とそうでない部分を交互に重ねあわせていくという、じつにジワジワと出来上がっていくお菓子なのだそうだ。その結果、まるで樹が成長したあとのような年輪が出来上がる。
 最近はそうでもないが、以前はよく結婚式の披露宴のお持ち帰り用引き出物にもニーズがあったそうで、わしもガキンチョの頃、親が披露宴に呼ばれて持って返って来たのを食ったりした記憶がある。
 その含意は「夫婦仲良く年輪を重ねるように」ということであるらしい。
 しかし、年輪を重ねて目出度いお菓子の中心に丸く空いた穴があるのはいかがなものか? と、わたくしはそう云う話を聞き乍ら疑問を口にしましたね。
 するとそのとき相手になっていた、結婚キャリア二十数年子供も成長し、といったお方は「その部分を埋めるのは至難の業です」 と、重々しい口調でこたえなさった。
 暴風豪雨吹き荒れまくる暗い森の中、ズブ濡れになって駆け込む大木の根元にあいたウロ。樹の中の空洞は嵐から身を守ってくれる、まさにウッディーな隠れ家。
 男はみんな家庭の中で、バウムクーヘンの穴に隠れて安心するのかも知れない。

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